中国残留孤児と北朝鮮による拉致被害者。
いずれも戦争あるいは政治的対立の被害者です。
この方々の問題を正面から取り上げた議論は、各方面で行なわれていますので、ここでは少し別の視点から考えてみたいと思います。
私は、もともと宗教や政治、思想など激しい対立を含むものには近寄らないことにしているのですが、この二者の立場には、「日本に生きる」という、余りに普通のことを望むにも困難な状況かある、と言う点で考えさせられたのです。
現在は新聞の社会面では、拉致被害者の皆さんのことが大きく取り上げられています。少し前は残留孤児の皆さんが主役でした。(今ももちろん少しは出ていますが、以前ほどではありません)主役の頃の残留孤児の方々には、方々から激励の言葉や、援助の申し出がありました。そして多くの皆さんが日本に帰ってこられました。最近のニュースで時折見るのは、その方々の「帰国」が、(順調な人もいますが、)まだ全てが成功裏に終わってはいないということです。
考えて見れば、日本語を殆ど、あるいは全く知らない、50才を越えた人が、母国とはいえ定住するには相当の苦労がある筈です。
日本では、昨日までばりばりのサラリーマンだった人でさえ、今日新しい職を求めるのが難しい環境です。
公の支援や、親戚の援助を受けたにしても、相当な困難があると思われます。(と言うより、その困難に陥っている残留孤児のニュースを見たので、ひとこと言いたくなったのですが。)
同様に、拉致被害者の場合も、本人は日本語がわかるのですが、その家族(子供や日本人でない配偶者)は日本語が分からない場合も多いのだから、その対策を忘れてはならないでしょう。
ニュースの焦点になっている時は良いのですが、その波が去った後は、人々の興味も支援もなくなることが殆どです。
一過性の応援ではなく、地道でも本人の「自立」を助ける援助を継続することが必要ではないでしょうか。
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