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最近「飛び級」という言葉が目に付くようになりました。
高校生や大学生で成績の優秀な学生は、1学年飛ばして進級させることが出来る制度です。また、高校生でも大学のセミナーに参加資格を与えたり、入試免除で入学させる大学もあるようです。
これは学生に一歩進んだ勉学の機会を与えるという意味で良い制度だといえます。また、大学も優秀な新入生の囲い込みの手段として利用していますが、別に悪いことだとは思いません。
特にノーベル賞を日本人が受賞する機会が増えたことと、この動きは連動しているようにも思えます。物理学や化学、数学の分野が重視されているからです。
数学系の場合は学生の能力を「測り」易いからでしょう。つまり単純計算であれ、思考を要する問題であれ、答えはひとつしかありません。従って問題をたくさん解ける学生は優秀だと判断できます。
他方、文系の場合はそうはいきません。だから文系の「飛び級」は聞いたことがありません。
例えば、最近或る資格試験を受けて見ました。(自己啓発のため、と言えば聞こえは良いですが、単にボケ防止のためです)
試験の当日会場近くの路上で多くの専門学校が「解答速報」を配布していますが、面白いのは、数学系の科目については各校の速報解答が一致しているのですが、思考を要する文系科目についてはバラバラなのです。専門学校で講師を勤めている方がたが頭をひねって解答を出したのでしょうが、或る専門学校の解答と別の学校の解答には20以上の違いがありました。
もっとも、試験から1ヶ月ほど経って送られてきた最終的な「解答冊子」の内容は各校一致していましたから、解答はひとつなのでしょう。おそらくその後何人かの講師がミーティングを繰り返し、また他校の解答も参考に見直して、お互いに正解にたどり着いたことでしょう。
つまり、文意を読み取る思考はプロ(真のプロとはいえませんが)が考えても「間違いがあるのが当たり前」なのです。だから、「測る」には無理があるのかも知れません。
大学生の場合は「学内での飛び級」の代わりに「退学」して「社会に飛び級」する人は昔から数多く、また良い文学作品を残した人、傑出した芸術作品を残した人も多くいます。
ふと思うのです。理系の学生の飛び級があるのなら、文系の飛び級があっても良いのではないか、と。
例えば、全国規模の作文コンクールで優勝するくらいの高校生なら、大学の「現代作家ゼミ」に聴講を許すとか、その分野の画家が才能を認める高校二年生は芸大に無試験で入学できるとか・・・・。
でも、矢張り文部科学省は「ノーベル賞」に一番近い分野にしか特例を認めないのでしょうか?
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