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(まさか?)
私は一瞬目を疑い、自分の予想が外れることを期待した。
しかし、現実は容赦なく私の身に襲いかかった。
その耳鼻科の医師は、大型の注射器の先を私の左耳に差し込んだ。
「行きますよ、それっ!」
思わず、目をつぶった。 耳のなかで嵐が吹き荒れ、激流が砕けた。華厳の滝とナイアガラの滝が、一度に耳の中に入りこんだような水の渦巻く音がゴウゴウと響きわたった。
それはそうだろう。鼓膜に直接水が当たるのだから、何メートルも離れた滝の音よりずっと大きな音が聞こえるはずだ。
「もう一回行きますよ!」
張り切った先生の声とともに、二度めの激流が襲来した。
「はい、終わりました。耳をたらいの上に傾けて下さい」
傾けると、ジャワーと耳から水が流れ出た。
ホッと息をすると、緊張が緩んだ。
そもそも、くしゃみがしょっちゅう出て、鼻水が止まらなくなる、いわゆるアレルギー性鼻炎の症状が出始めたのは三年前の秋から、そして、数か月遅れて今度は、眼が痒くなり、朝起きると眼ヤニが少したまるようになっていた。
眼のほうは、取りあえず近くの眼科に行って診てもらった。
「すこしアレルギーのようですが、年を取るとなりやすい病気です」
と言って、点眼薬をくれたが、なかなか治らない。二、三回通ったけれど完治しないので、病院に行くのはやめて、薬局で抗アレルギー性をうたった市販薬を購入して、結膜炎とかゆみを抑えて我慢していた。
私は、それまで、手術の効果はともかくとして、病院の薬で病気が治ったと感じたことがなかった。
(それに、病院の待ち時間の長いことといったら...半日仕事になってしまうので、出来れば行かないですませたい)
というのが本音だった。
しかし、偶然、新聞で「同じ症状が続く時は、重大な病気が隠されている可能性がある」と脅した記事を読んだのと、このところ、耳に痒みがあり、小指を突っ込んで押すと、軽い痛みもあり、しかも、先日の新幹線の冷房のお陰で、本格的な鼻炎になってしまったということもあった。
病院では例によって、小一時間待たされて、やっと順番が来た。
医者はは六十をはるかに越えた、白髪の、いかにも信頼出来そうな先生だ。
「どうしました」
「クシャミと鼻水が止まらなくて、参っています」
「いつから?」
「三年ほど前から」
「ずっと、ほおっておいたんですか?」
「息子のアレルギーと同じだと思っていたんですが、新聞の記事に脅かされて」
「それは良いことです。ちゃんと治療したほうがいいですよ。子供の病気は成長すると治ることがありますが、大人はこれ以上成長しませんからね」
「最近は耳も痒くて、押すと痛みもあるんです」
「じゃ、耳から見ましょう」
私は先生に促されて治療室の椅子にすわった。
「ほう、かなりたまっていますね」 先生は長い綿棒を私の耳に突っ込みながら、言った。
職業柄、取り甲斐のある耳垢を見て、楽しくなったらしい。
「そうですか、かなりですか?」 私も一応調子をあわせて相槌を打つ。
「ええ、それに、少し炎症を起こして腫れていますね。」
「そうですか、赤いですか?」
「ああ、真っ赤ですね」
「痛いッ!」 綿棒の先でゴリッと耳あかを動かされて、思わず悲鳴を上げてしまった。
「そうでしょう。これは痛いでしょう!」 私の反応に、さも満足そうに先生が叫ぶ。
「耳の中は敏感ですから、ちょっとした刺激でも痛く感じるのです」
それなら、もっと優しくやってほしい、と言いたいのを押さえて、
「耳垢を小さくするか、溶かしてしまう薬はないんですか?」
と半分悲鳴で聞く。
「そうですね、このままでは無理なので、二、三日置いて、腫れが引いてから、軟らかくふやかして取りましょう。明日来られますか?」
「いえ、土曜日は無理です」
「じゃ、来週の月曜日はどうですか?」 ちょっと考える。
(....えーと、月曜日の朝は、十時にアポイントが入っているけれど、その前 には、急用は無い。九時に来ればこの病院なら一番か二番の受け付けだから、三十分以内には終了するはずだ)
「月曜日なら、なんとかなります」
「そうですか、では、取り敢えず腫れが引くように薬を塗っておきますから、月曜日に来てください」
その日は、耳と鼻の薬をもらって、痛む耳を押さえながら病院を後にした。
ところがその週末の二日間が地獄の苦しみだった。
しっかりくっついていた耳垢を無理に動かしたため、それまでむず痒い程度だっ た中耳が腫れあがり、ガンガン痛んで、音はろくに聞こえないし、日曜日には頭痛までしてきた。
「あのヤブ医者、まさか鼓膜にキズをつけたんじゃないだろうな」とか、「もうこのまま、聴力は戻らないんじゃないか」と考えて、また、頭が痛くなってきた。
そして、月曜日の朝、病院には一番に着いた。
「やあ、来ましたね。週末は結構大変だったでしょう?」
先生、すべてご存じの様子。
「じゃ、耳垢をやわらかく膨らます薬を塗っておきますから、午後2時頃もう一度来てください。耳を洗いましょう」
先生は、楽しそうに言った。
耳に、たっぷり薬を含ませた脱脂綿を詰めこまれて、五時間後の午後二時、昼食後に再び病院に行った。
診察椅子にすわると、看護婦さんが大きなそら豆を二つに切ったような金だらいを私の耳の下に当て、「耳を洗う」用意をした。
「?」 私の心を不安がよぎった。
「耳を洗う」といっても、脱脂綿に水か薬を含ませてそれで耳の内側をきれいに拭く程度に考えていた私には一瞬状況が理解できなかった。
今度は先生が、浣腸用のと同じくらいの注射器を取り出し、水か薬を吸入して上にむけてピュッと空気を抜く。
「!」 私にもやっと状況がつかめた。
そう、これは文字通り「耳を洗う」つもりなのだ。
「いいですか?」 先生が看護婦さんに声をかけた。
「はい」
こうして、冒頭の、「耳の中の嵐」は始まったのだった。
やっと耳の水が流れてしまうと、先生が綿棒で仕上げに薬を塗ってくれる。
「はい、これですべて終了です。ついでに右耳を見せてください。ああ、こちらもダメですね。洗わなくっちゃダメですね。」
先生は右耳の番が楽しみな様子。 きっと今までに耳を洗った人たちは、私と同じ反応を示した事だろう。
その、驚いたような、不安に満ちた反応が、先生には面白いらしい。
「明日来られますか?」
「いえ、あすはちょっと....」 思わず返事が後すざりしてしまった。
「これからしばらく外国からミッションが続きますので、一ヵ月ほど後で参ります」
ほうほうの体で、病院を離れた。 ただし、耳の掃除に夢中になり、先生も私も鼻のアレルギーのことはすっかり忘れていた。
しかし、歩きながらも自分のワイシャツが擦れているシャリシャリというかすかな
音が耳に飛び込んで来る。 四方八方から、普段なら聞き逃す小さな音が、どんどん向こうから耳に飛び込んでくる。これには驚いた。五十年あまりにわたってこびりついた耳垢は、時折耳掻きで掃除しても、どうしても取り残しがたまって、聴力にかなり影響していたらしい。
その日は、この貴重な経験を会社のヒマそうなスタッフ連中にも話して、以前は「ヘボ医者」とけなした耳鼻科の先生を「最高の医者だ」と推奨しておいた。
但し、若い女性スタッフに話すときは、「浣腸器みたいな」と言うところを「バレーボールの空気入れのような」と言い換えて話したのだった。

その耳鼻科の近く、六本木ロアビル裏手に
饂飩(うどん)坂がある。天明年間末(1788年)
頃まで、松屋伊兵衛といううどん屋があったことから
この名がついたという。
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